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この子を不自由なく育てたかった。
そのために必死に働いた。
でも、こんな未来が待っているなら――
もっと一緒にいればよかった。もっと抱きしめればよかった。
もっとたくさん、話を聞いてあげればよかった。
ごめんね、陽奈。ママ、あなたをひとりにしてしまう。
その後悔を最後に、私の意識は途切れた。
――はずだった。※
「相沢さん。相沢さん」
誰かが私を呼んでいる。
ゆっくり目を開けると、見覚えのある男性が私を覗き込んでいた。
「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
瓢真人(ひさご・まさと)。
私が勤めるIT企業、ネオリンクスカンパニーの社長だ。
「……社長?」 どうして社長がここに?私は、家に侵入していたストーカーに殺されたはずなのに。
周囲を見回す。ここは……会社の休憩室。
壁に掛けられた時計とスマートフォンの日付。それを見た瞬間、息が止まった。
この日付は半年前……。「相沢さん?」
「……っ」
生きてる。
私は、生きている。
震える手で自分の胸元に触れた。
心臓が動いている。
息もできる。
殺された時の傷もない。
戻ってきたんだ。
どうしてなのかは分からない。でも、そんなことはどうでもよかった。
陽奈は? 「すみません、娘……娘は!?」「え?」
慌ててスマートフォンを開く。わき目もふらずに保育園に連絡を入れた。
『はい、あかつき幼稚園です』
「先生っ、すみません! 相沢です。相沢陽奈の母ですっ。陽奈は……陽奈は元気ですか!?」
『陽奈ちゃんですか? えっと……ああ、給食も残さず食べて、今、お昼寝していますよ』
それを聞いて、崩れ落ちそうになった。
なんとか堪え、礼を言って予定通り迎えに行くと伝えて電話を切った。 陽奈は生きてる。そして私も……。ぐらりと視界が揺れた。
立ち上がろうとした私の身体を、瓢社長がとっさに抱き留める。
「無理をしないでください」
「す、すみません……」
「謝らなくていい。病院へ行きましょう」
「でも仕事が……」
「仕事?」
瓢社長の眉がわずかに動いた。「そんな状態で、まだ仕事の心配をするんですか?」
「……」
何も言い返せない。
「今日は帰ってください。仕事はこちらで対処します」
「でも……」
「相沢さん」
低い声で名前を呼ばれた。
「あなたが倒れても、会社は回りますので心配には及びません」
はっとさせられた。
自分がやらなきゃ。もっと働かなきゃ。
もっと稼がなきゃ。
ずっとそう思っていた。でも、その結果が――あの最期。
もしかすると、これは、やり直しのチャンスなの?
働き虫になってしまった私を哀れんだ神様が、陽奈とやり直せるチャンスをくれたのかも――いや、待って。 元夫が陽奈を取り返そうとしているなら、どうして私の下着が盗んだんだろう? それに、もかちゃんに隠しカメラを仕込むなんて、あの人がするかな。 そういうことには疎い人だったし、違うと思いたいけど……。 わからない。 考えれば考えるほど、誰もが怪しく思えてしまう。「はぁ……」 思わずため息が漏れた。「葵さん?」 隣に座っていた真人さんが、心配そうに顔を覗き込んでくる。「大丈夫?」「……はい。でも、誰が犯人なのか考えていたら、頭がぐちゃぐちゃになっちゃって」「そうだね。今は情報が少なすぎる」「……うん」「ただ、ひとつ言えることがある」「なんですか?」「犯人は、僕たちが今日もかちゃんを買ったことを知っているってことだ」「……はい」「でも、知っているのが花菱だけとは限らないよ」「え?」 どういうことだろう。「店の中で見られていたかもしれないし、誰かがその話を聞いた可能性もある」「……そっか」 確かにそうだ。 花菱さんがいたから、どうしてもあの人を疑ってしまうけれど。 他にもお客さんはいた。 店員さんだって、何人かいた。「だから、今は決めつけずに警察の調査を待とう」「……はい」 真人さんが私の手を握った。「大丈夫。ひとりで考え込まなくていいからね」「……ありがとう」 その手の温かさに、少しだけ気持ちが落ち着いた。すると――「ママぁ」
「葵さん。少しだけ、ここで待っていてくれる?」「え?」「部屋の様子を確認してくる。何もなければそれでいい」「で、でも……」 真人さんが一人で部屋に戻るってこと? もし、まだ誰かが潜んでいたら?「危ないからやめて欲しい」「大丈夫。部屋の中には入らず、まず玄関から確認するだけにする。何かおかしければ、すぐに警察を呼ぶよ」「……うん」 真人さんは私を安心させるように微笑んだ。「陽奈ちゃんと一緒にいてね」「わかった……」 真人さんが立ち上がる。 その時、陽奈が私の袖を引っ張った。「ママ、もかちゃんは?」「……え?」「もかちゃん、おるすばんしてるの。おむかえにいかないの?」 どうしよう。 あのぬいぐるみを、また陽奈に持たせるなんてできない。「もかちゃんは、もう少しお留守番してもらおうね」「ええー! ひな、もかちゃんとねんねする!」「ごめんね。今日は……」「やだぁ!」 陽奈が泣きそうな顔になる。 さっき、あんなに喜んでいたのに。 せっかく真人さんが買ってくれた、大切なプレゼントなのに。 どうして、こんなことになっちゃうの?「陽奈ちゃん」真人さんがしゃがんで、陽奈と目を合わせた。「新しいもかちゃんは、今日ちょっと検査してもらうことになったんだ」「けんさ?」「そう。元気かどうか、調べてもらうんだよ」「もかちゃん、びょうき?」「ううん。病気じゃないよ。今悪い病気が流行っているから、念のための検査だよ」「……そっかぁ」 陽奈がしょんぼりする。
エレベーターの扉が開くと同時に、真人さんが急いで降りてきてくれた。隣には陽奈もいる。「葵さん!」「……真人さん!」 真人さんだった。 片手にはスーパーの袋。 もう片方の手には、陽奈の手を握っている。「ママぁ!」 陽奈が私を見つけて駆け寄ろうとした。 けれど、真人さんがそっと引き止める。「陽奈ちゃん、ちょっと待ってね」 そして、私のところへ急いで来てくれた。「葵さん、大丈夫!?」「ま、真人さん……!」 顔を見た瞬間、張りつめていたものが切れた。 私は真人さんの胸に飛び込んだ。「怖かった……!」 ぎゅっとしがみつく。ポロポロと涙がこぼれた。 真人さんが私を抱きしめてくれた。「ごめん。ひとりにして」「ううん……! 違うの……! 真人さんのせいじゃない……」 言葉がうまく出てこない。 真人さんは、何も聞かずに背中を撫でてくれた。「もう大丈夫。僕がいるから。陽奈ちゃんもいるよ」「っ……!」「怖かったね」 その言葉に、また涙が溢れた。真人さんの胸に顔を埋める。 温かい。真人さんの腕の中にいると、ようやく息ができる気がした。「ママ……だいじょうぶ?」小さな声が聞こえた。 はっと顔を上げる。 陽奈が、不安そうに私を見つめていた。「ママ、ないてるの?」「あ……」 しまった。 陽奈の前なのに。「ご、ごめんね
「いやあああああっ!!」 思わず悲鳴を上げた。 スマートフォンを放り投げそうになり、慌てて握り直す。 なに? なんなの、これ!? どうして新しいもかちゃんのことを知っているの!? 震える指でもう一度メッセージを確認する。『新しいもかちゃん、陽奈ちゃんは気に入っているのかな?』『前のもかちゃんの方がいいと思うけどなぁ』 前のもかちゃん。 それって……。 隠しカメラが仕込まれていた、あのもかちゃんのこと!? ぞわっと鳥肌が立った。 前のもかちゃんは、もう警察に押収された。 カメラのことがバレたと知って、私を脅しているの? それとも……。「……っ!」 私はゆっくりと顔を上げた。 ソファに座っている、新しいもかちゃん。 真っ白なウェディングドレス。 ピンク色のリボン。 そして、黒くて丸いガラスの目。 その目が、まっすぐ私を見つめている。「ひっ……!」 思わず後ずさった。 違う。 ただのぬいぐるみ。 今日買ったばかりの、新品のもかちゃん。 でももし、またカメラが仕込まれていたら? 今も誰かが、私を見ていたら?「いや……」 怖い。 怖い、怖い、怖い! 私はスマートフォンを握りしめたまま、玄関へ走った。 ここにいたくない! 一秒だって、いたくない! 靴を履こうとして、うまく足が入らない。恐怖で体が震える。「っ……!」 もう、な
真人さんの家に帰ると、陽奈はさっそく新しいもかちゃんをソファに座らせた。「もかちゃん、ここにすわってね!」 ちょこん。 真っ白なウェディングドレスを着たもかちゃんが、ソファの真ん中に座っている。「ママ! みてみて!」「うん。かわいいね」「もかちゃん、けっこんするの!」「そうなんだ。お相手は誰なの?」「えっとねぇ……」 陽奈が部屋をきょろきょろと見回す。そして、真人さんを指さした。「しゃちょーさん!」「えっ、また僕?」 真人さんが驚いた顔をする。「しゃちょーさん、もかちゃんのおむこさん!」「ははっ。僕は大忙しだね」「いそがしい?」「うん。陽奈ちゃんとも結婚する約束をしたし、もかちゃんとも結婚するんだろう?」「そう!」 陽奈が嬉しそうに頷く。「ママとも!」「ちょっ、陽奈!」 もうまたその話!? 真人さんが私を見て、にこっと笑った。「そうだね。葵さんとも結婚しないと」「ま、真人さん!」「ははっ。冗談だよ」 もう、絶対楽しんでる! 私は赤くなった顔を隠すように、キッチンへ向かった。「と、とにかく! ご飯作るから陽奈と遊んでてっ」「了解」「しゃちょーさん! けっこんしきするよ!」「はいはい。では、お姫様。僕はなにをすればいいのかな?」「ここにすわって!」「かしこまりました」 真人さんが陽奈の隣に座る。 すると、陽奈がもかちゃんを抱き上げて、真人さんの膝に乗せた。「はい! およめさん!」「これはこれは。かわいいお嫁さんだね」「でしょ!」 ふたりの楽しそうな声が聞こえてくる。その光景を見て、思わず笑ってしまっ
「ママ、どうしたの?」「な、なんでもないよ!」「おかお、あかいよ?」「えっ!?」 思わず両手で頬を押さえた。 すると、真人さんがくすっと笑う。「葵さん、そんなに照れなくても」「て、照れてません!」「そう?」「そうです!」 もう! 真人さんまでからかわないでよ!「ママ、しゃちょーさんのこと、すき?」「ええっ!?」 ちょっと待って! 陽奈、なんてこと聞くの!?「ひなは、しゃちょーさんだいすき!」「ありがとう。僕も陽奈ちゃんが大好きだよ」「ママは?」「えっ、私!?」 陽奈が大きな目で私を見上げる。 どうしよう。 ここで嫌いなんて言えるわけないし、そもそも嫌いじゃない。 むしろ……。「ママも、しゃちょーさんのことすきでしょ?」「そ、それは……」 真人さんが私を見る。 やだ。 そんな顔で見ないで!「……うん。好きだよ」 小さな声で答えた。 すると、陽奈が嬉しそうに笑った。「やったあ! みんなだいすき!」「そうだね」 真人さんも笑っている。 でも、なんだろう。 さっきより、ちょっと嬉しそうな気がする。 ……気のせいかな?「葵さん」「は、はい!」「ありがとう」「……え?」「好きって言ってくれて」「っ……!」 だから! そういうこと言わないでよ! 真人さんは







